「その日、エルサレムの教会に対する激しい迫害が起こり、使徒た ち以外の者はみな、ユダヤとサマリヤの諸地方に散らされた」使徒 8:2

サウロは神のためと信じて、熱心にクリスチャンを捕まえていた。 そしてステパノ殺害に賛成していた。ステパノの御霊の力に満ちた 証しを、目の前で見て、サウロは憎悪に燃えた。キリストを神とし、 救い主とする、クリスチャンは許しがたい存在だった。怒りと敵対 心、憎しみは増幅し、殺害の意を固くした。

 

ステパノの厳粛な殉教により、更に迫害は激しさを増し、荒れ狂っ た。サウロは、教会を次々と荒らし、家々に入って、容赦なく人々 を引きずり出し、投獄して行った。そのため信徒たちは、四方に追 いやられ、あちこちへと散らされて行った。皆が、散り散りバラバ ラになってしまった。

 

では、この厳しい苦難で、信徒たちは失望落胆、意気消沈して、教 会は壊滅して行ったのか。ところが、そうではなかった。あちこち に、散らされた信徒たちは、何と「みことばを宣べながら、巡り歩 いた」。結果的に見れば、この迫害による離散によって、返って福 音が拡大して行く事になってしまったのだ。

 

信仰の火が消えるどころか、ますます燃え上がり、信仰が強くされ、 福音が四方八方に拡がって行った。私たちも「なぜこんな事が!」 「なぜ突然こんな苦しみが?」との突如の事態が起きる。しかし一 見、マイナスのその事が、理解を越えた大きな祝福へと結実して行 く。そして信仰が堅くされ、成長へと導かれる。

 

・・・・・・・・・・・ 今、目の前に理不尽な状況、理解不能な事態、失望させられるよう な事柄、それこそが大きな祝福となる事を信じていよう。迫害によ る離散が、福音の拡大になったように、主のご計画は思いを遙かに 越えている。