私たちは、人の目が気になり、他人の評価が気になって仕方が無い
という、根深いものがあるだろうか。肉の性質があるので、どうし
ても人に認められたい、受け入れて欲しい、との強い思いがあるだ
ろうか。「人の望むものは、人の変わらぬ愛」とあり、私たちは生
まれつき、人の愛を求めていると言っている。
アダムとエバが、神に逆らい、罪の方を選び、罪を犯した。その罪
により、主との関係が断たれてしまった。それまで主の豊かな愛を
受けて、主との交わりの中で、充分に満ち足り、喜びに溢れていた
のが、その関わりを失ってしまった。それゆえ、人は、人の愛を求
めるようになった。これは普段、無意識で、認識していないだけで、
自分が思う以上に根深い。
人からの愛が欲しいので、良い人と思われたいし、人に嫌われたく
ない。これが高じて行くと、人の顔色ばかりを気にし、「ノー」が
言えなくなる。心は「ノー」なのに、嫌われたくないので「イエス」
の行動をして行く。信仰によってでなく、嫌々、強いられて、建前
で生きると、本当の自分を生きる事ができない。「ノー」が言えず、
嫌々、強いられて、相手に合わせて行く。すると相手を嫌い、憎む
ようになってしまう。
そのためにも、きちんと「ノー」を言うことが大切だ。思うところ
があれば、主のもとに行き、御霊に心を探って頂こう。心の内をこ
とごとく告げて、主と交わろう。様々な気づきを与えて下さり、御
心へと導いて下さる。自由に、自由にして行って下さる。
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ノーが言えない自分を認めず、かといってイエスも言えず、相手を
敬遠してしまう。よく経験する。主に祈り、本音の部分を明らかに
されて、主の導きの中で手放していきたい。
発行 広島聖書バプテスト教会 み言葉配信係
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