「わたしがあなたがたに話したことばは、霊であり、またいのちです」ヨハネ6:63

ある牧師、大きな震災による津波で、会堂も住まいも流された。何一つ持って出る事も出来なかった。特に自分にとって、非常に大切な注解書や信仰書、聖書資料や学びの資料、何もかも流され、失った。余りにも突然で、一瞬の事だったが、危険を直感し、何とか逃げる事ができた。何もかもすべてを失ったが、とにかく自分も家族も、命が守られた。

 

避難所に身を寄せ、これら身に起こった事を、祈りに持って行き、主に切に祈った。その時に御言葉が臨んで来た。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」。御言葉の力を体験した。「私は裸で母の胎から出て来た。また、裸で私はかしこに帰ろう」、もうまさにその通りだと思えた。すべてを失い、これから先の事も全くわからないが、心は不思議な平安で満たされた。

 

ある女性は職場で、重要な地位である管理職に、上司から打診があった。沢山の人々を部下に持つ事になる。自分がまとめて行けるのだろうか。全く自信がない。自分の能力では無理だ。力不足だ。重荷であり、断りたい。しかし、まず主の御心を求めて祈ろうと、時間を取って御前に静まり、長く主と交わり祈った。

 

心の内の不安、恐れ、思い煩いのすべてをことごとく告げた。その時に「恐れるな・・わたしはあなたを強め、あなたを助け、わたしの義の右の手で、あなたを守る」と語られた。御言葉が臨んだ時、平安が心を支配した。受諾の決心が与えられた。御言葉は霊であり、いのちだ。私たちを生かし、どんな状況の中でも、立ち上がる力を与えてくれる。

 

-------------外からの試みや煩わしさにも支配されない御言葉によって心が満たされる実感は何よりも力となり命そのものだ。外からのものではない内側からの喜び、その源である御言葉から今日も一日を始めたい。