「ですから、すべての汚れやあふれる悪を捨て去り、心に植えつけられたみことばを、すなおに受け入れなさい。みことばは、あなたがたのたましいを救うことができます」ヤコブ1:21

私たちはデボーションやメッセージを通して、御言葉を聞くが、「すなおに受け入れる」ことが大切だ。素直な、やわらかい耕された心で、受け入れることが必要だ。その時に「すべての汚れやあふれる悪を捨て去り」とある。妨げがあると、御言葉が心に入って来ないからだ。自分の中にある汚れや悪を捨て去る必要がある。

 

心にある怒りや妬み、憎しみ、敵対心、貪欲、それらを認めずに、言い訳したり、自分を正当化する時、御言葉が入らない。ある人が、職場の上司が嫌で仕方がなかった。トゲのある物言いをする相手だった。きつい言い方をするので、どうしても傷ついてしまう。その相手と接するのが苦痛でたまらない。心が苦しくなって来る。心暗く思い悩む日々だった。

 

あの相手とさえ顔を合わさずに済めば・・。職場を変わろうか。重苦しいばかりで、御言葉などとても入らない。余りに辛く、主の御前にことごとく思いを祈った。相手はトゲがあり、傷つけられるのだが、自分の内にも相手への憎しみ、赦せない思いが渦巻いていた。相手の非だけが見えて、自分の憎悪の罪は見えない。自分の罪として、悔い改めた。

 

その時から、御言葉が心に響いて入って来た。罪を悔い改め、捨てる時、御言葉が心に入って来る。その御言葉を耕されたやわらかい心で受け入れる時、様々な問題に、解決が来て、そして主のご愛、真実を知って行ける。

 

---------------都合の悪い御言葉は、聞かなかったことにすればとの思いが来るがそこにこそ自分の今の姿が示されているのではないだろうか。主の祝福と御言葉の豊かな実りを自分のものとしたい。