「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実 を語りなさい」エペソ4:25

ある人が、職場で退社後に、しょっ中飲み会があった。自分はお酒は飲まないし、参加したくなかったが、付き合っていた。結局は飲むのが好きな人たちが、何やかやと口実にして、好きでやっている事だった。余りに続くと、身体も疲れ、時間も取られるし、段々苦痛になって来た。心身しんどくてたまらず、平安も全く無く、主の御前に祈りに持って行った。

 

祈っていると、自分がズルズルと嫌々ながら、中途半端に付き合っていること、きちんと断らない事が問題なのだと示された。そこでその事を祈って、行動に移し、断るようにした。すると帰宅後の時間が、聖書を読むこと、祈ること、休息を取ることに用いることができて、平安が戻った。同時に職場でも良い関係に保たれた。

 

「ノー」が言えないと、強いられて嫌々することになる。段々重荷になって来て、喜びと平安も失せてしまう。秩序も崩れて、生活全般がギクシャクする。ある人は、隣人が家にひんぱんに来る事を断れないでいた。相手に嫌われたくないので、「ノー」が言えない。すると段々、相手が嫌になり、心は苦しくなり、いつしか恨みになり、憎しみになって行った。

 

原因は「ノー」が言えない事だった。「あなたがたは、『はい』は『はい』、『いいえ』は『いいえ』とだけ言いなさい」とあるが、「いいえ」は、「いいえ」と言う事により、恨みや憎しみから守られることになる。「ノー」を言えないところから、混乱が生じているだろうか。ふさわしい「ノー」は秩序と平安を生み出す。

 

・・・・・・・・・・・・「ノー」が言えないのは、相手に嫌われたくない、良い人だと思われたい。だいたいズルズルとなり、自分は苦痛になって行く。御霊は時に「ノー」を言うように示される。よく祈って、示された時には従おう。主に従うなら、主の御心が成し遂げられて行く。どうであれ平安だ。