「サライが彼女をいじめたので、彼女はサライのもとから逃げ去った。主の使いは・・シュルへの道にある泉のほとりで彼女を見つけ」創世記16:7

女奴隷ハガルは、アブラムとサライに子供ができない事から、アブラムの子を宿す事になる。奴隷であって、選択の余地は無い。それは、神はご存じだ。しかしハガルは、妊娠すると高慢になり、女主人サラを見下げた。この高慢はハガルの罪であった。奴隷からの侮辱に、サラは怒りに燃える。アブラムのせいと、訴える。

 

するとアブラムは、好きなようにせよと告げ、今度はサライがハガルを攻撃した。いじめは、余りにもつらくハガルは荒野へ逃亡。そこに主の使いが現れ、「サライの女奴隷ハガル」と。はっきりと、サライの奴隷である立場を認識させ、「どこから来てどこへ行くのか。」高慢になった結果、サライのいじめに会い、その苦しみから逃げているという現実を、見せる。

 

ハガルも女主人サライから逃げている事を認める。「女主人のもとへ帰り」「身を低くするよう」告げられた。「あなたの子孫を大いにふやすから」と。私たちへの言葉でもある。問題や環境から、状況から、つらさの余りとにかく逃げたい。それが救いだと思う。しかし、逃げても何の解決も無い。

 

そこを逃げたとしても、自分自身は何も変わらないので、また次の環境で同じ事を繰り返す。自らの傲慢ゆえに、苦しみを招いたので、身を低くし、へりくだって仕えよと。私たちも時として、逃げたいが、その所にとどまり、へりくだれと言われる。どうしてこうなったのかよく考えよと。その時、その所で、豊かな祝福と成長がある。

 

--------------逃げた先でも神はハガルを見捨てず御声をかけられた。どこから来て、どこへ行くのかと。自分もまた受け入れられ、愛してくださるお方がいるとは何という慰めだろう。この神のご愛によってへりくだらされていく。