「すると、その人はすぐに直って、床を取り上げて歩き出した」ヨ ハネ5:9

もし人が病気であっても、それが普通であり、正常な状態だと思っているなら、どうだろう。いつまでたってもそのままで、病気が治ることはない。主はこの病人に「よくなりたいか」と言われた。つまり現状は「よくない」という事で、病気が治るには、まず自分が病気だと認めなくてはならない。

 

私たちも癒やされるためには、自分が病んでいると認識することが重要だ。自分の非に目を向けないで、相手ばかり責めているなら、いつまでたっても、その状態は改善されず、同じ事の繰り返しのままだ。何の成長も無い。相手どうこうの問題でなく、それに反応して相手を攻撃し、責める「自分の問題」だと気づき、認めて行く時、初めて自分が変えられて行く。

 

この人は「池の中に私を入れてくれる人がいない」からと、人のせいにしていた。自分には介添人がいない、だから池に入れないので、自分の病気は癒やされないと。人に依存してしまっていた。人に依存すると無気力になる。うまく行かないのは人が悪いから。その、人依存こそが問題だ。

 

主は「起きて」と言われた、床を取り上げて、自分の足で歩けと。人は関係なく、問題は、人に、病気に、「依存している自分」にあると気づき、認める時、主のみわざはすでに始まっている。自分の床とは何だろう。自己憐憫、諦め、不満、不信仰、主以外のものに頼る心・・その床を取り上げて、神を、御言葉を心底頼って歩く事を始めよう。自立とは人や自分に頼らず、ただ神だけに頼ることだ、

 

・・・・・・・・・・・・言い訳をして、自分を正当化している限り、ずっと床に伏せっている状態だ。主は癒やして下さる。「よくなりたいか」の愛の御声に応答して「よくなりたいです」と主に向き合おう。自分でも、状況でも、人でもなく、主に目を向けよう。主の愛に出会う。