「苦い根が芽を出して悩ましたり、これによって多くの人が汚され たりすることのないように」ヘブル12:15

ピリピの教会で、ユウオデヤとスントケは、主のために歩んでいたが、二人の間に争いがあったようだ。それで主に在って一致するようにと、パウロは勧めている。一致を妨げるものが「自己中心」と「虚栄」だと。交わりの中で、様々な行き違いも生じるが、余り自分に関係の無い事は、フェアで寛容でおれる。が、いざ自分の利害に直接関わって来るや、大変な事になる。

 

過敏になり、保身の態勢に入り、自分を正当化し、相手を責め、攻撃的になってしまう。これは「自己中心」によるものだ。又、他者の言葉が、自分のプライドや虚栄心、体面に触れるなら、ただでは済まない。激怒して反撃に出るか、内向して執念深く恨み、憎しみを抱く事になる。

 

自分の心にざらつく思いや、イラ立ち、苦い思い、重苦しい状態が出て来たら、自己中心、虚栄、プライドでないか、御霊によって心探って頂こう。苦い根を置いておいてはならない。その根は心に巣くって、どんどんはびこってしまう。すぐに主のもとへ持って行き、十字架の血潮で、聖めて頂こう。罪の苦い根を、小さい内に、次々と根本から引き抜こう。

 

心に何か平安が失せた時には、御霊に照らして頂き、悔い改める時、罪は赦されて、平安が戻る。苦い根によく気をつけよう。今、心に、苦いものがあるなら、命取りになる前に、そのまま主のもとに持って行こう。まず祈りに持って行く時、必ず導かれて行く。

 

------------心にざらつきを覚えたなら、根の所を見極めよう。自我が満たされ思い通り行っていれば気づけなかった罪だ。何かを御霊様は示してくださる。対処療法でなく根を取り除けるよう祈ろう。