「獄中で生んだわが子オネシモのことを、あなたにお願いしたいの です・・今は、あなたにとっても私にとっても、役に立つ者となって います」ピレモン10

神の摂理、ご計画、神視点を見ることができる。オネシモは主人の物を盗んで、逃亡した。奴隷が自分の主人の物を盗み、逃亡とは、大きな罪だ。あってはならない悪事だ。しかし、神の側から見ると、別な見方がある。神は、このような災いをも、益とされて、ご自身の栄光へと変えて行かれる。

 

オネシモが逃亡した事により、ローマに行く事になった。そこでパウロと出会い、主の救いを受けた。否定的な、害であるような事柄さえも、神は益と変えられる。いっさいの起こる出来事が、神の許しの中であり、主権のもとであることを認める時に、物事の見方、人生の見方が全く変えられてしまう。

 

神視点で見る時、オネシモが一時、主人ピレモンのもとを離れたのは、彼が永久に主人のもとにいるためだった、となる。神視点で、目の前の事態を見、人生を見るなら、どんなに幸いであり恵まれる事だろう。兄たちの悪意でエジプトに売られたヨセフも、兄たちと再会した時に同じ事を言った。

 

「あなたがたは、私に悪を計りましたが、神はそれを、良いことのための計らいとされた」と。兄たちは悪意であったが、神はその悪意すら良い事の計らいとされた。エジプトの総理大臣とし、大飢饉の中、ヨセフによって一族は命を取りとめた。今、目の前の事態を単に出来事だけでなく、それを神視点で捕らえよう。豊かな恵みとされる。

 

・・・・・・・・・・・目の前に痛い事柄、苦しい事態事が生じる時、それだけを見るなら苦しいばかりだ。しかし神視点に立つ時、「この事により、何を教えて下さっていますか」の問いに変わり、結果的に摂理の神に出会って行ける。そこに神の恵み、み思いを見て、ご愛に触れる。