「わたしの思いは、あなたがたの思いと異なり、わたしの道は、あ なたがたの道と異なるからだ」イザヤ55:8

主のみ思いと、私たちが思うことは「異なる」と言っている。主の計画と、私たちがこうすれば良い、こうすれば幸せになれると思い描く道は「異なる」のだと。人間は、自分は正しい、自分の考えは良いと思っているので、この道が絶対と計画を立てるが、主のみ思いは違うと。

 

そして、主のみ思いは、遙かに「高い」と。地上を歩いている時には、歩いている、その範囲のものしか見えない。しかし、何10階の高層ビルの最上階から見渡すとどうだろう。ぐるりと四方が見渡せ、遙か遠方まで見える。人間は目の前の事しか見えないので、限られた情報しか無いので、目先の事しかわからない。しかし、主は遙か先をもご存じだ。

 

明日もわからない私たちだが、主は明日も明後日もご存じだ。その上で、私たちの幸せのためのご計画を持っておられる。時に、「どうしてこんな事が?」「なぜ私に?」「なぜ?どうして?」という事態が起きる。自分の思いとは全く異なる事が起きる。決して思い通りではない道だ。そしてその時には、喜ばしい事ではない事もしばしばだ。むしろ痛く、つらく、悲しい。

 

しかし、今はわからず、理解できず、納得できなくても、後の日に、この事があって良かった、この事があったからこそ、今の自分があると、言える日が来る。だからどんな時にも希望がある。刺繍の裏側のように、ぐじゃぐじゃにしか見えないが、主は目的持って素晴らしい絵を描いておられる。後の日に、パズルがつながるように、見えて来る。

 

-----------起きる問題の原因を自問し、解らなければ不安になるが、失敗ですらも後の日の益に結び付けてくださる神が導いておられる。解らないことを受け入れ、今日を喜んで生きる方を選びたい。