「だから、聞き方に注意しなさい」ルカ8:18

「聞き方」に注意するようにと言われている。ただ単に、御言葉を聞いていればよいのではない。聞いているつもりで、右から左に流れてしまっているかも知れない。ぼやっ~と聞いていれば、サタンがとって行ってしまう。サタンが持ち去るなら、聞かなかった事と同じになる。

 

イスラエルの民は皆、モーセから神の言葉を聞いていた。しかし、聞いた言葉が「信仰に結びつけられ」なかったため、最後まで神を疑い、結局は不信仰によって荒野で滅ぼされてしまった。何のためにエジプトを出たのかわからない。

 

モーセは神に導かれ、神の言葉を語った。イスラエルの聞く側に問題があった。信仰に結びつける事が大切だ。御言葉を聞く事は嫌ではないので、幾らでも聞ける。だから、聞いているので、OK、問題無しと思ってしまう。しかし、信仰に結びつけて、自分の事として、自分に当てはめて聞かなければ、御言葉は御言葉、自分は自分と、大きな隔たりがあって、そこに結びつきがない。

 

傍観者になっていて、御言葉は何年も聞いているのだが、自分が変わる事なく、成長が無いことになってしまう。しかし御言葉は聞いているので、気づかない。又、「自分の思い」に立って聞くと、御言葉がよくわからない。御言葉の価値観は「神中心」で、自分の価値観は「自分中心」だ。正反対だ。

 

へりくだって、御霊の助けのもと、祈って聞くなら、御霊が教えて下さる。「聞く」だけでなく、自分の「聞き方」はどうだろう。

 

・・・・・・・・・・他人事で、傍観者としてに聞くと御言葉を流してしまう。自分の思いも、御言葉を妨げる。不都合な御言葉は捨ててしまう。「しもべ聞いています。お従いします」の態度で聞く時、御言葉が心に入って来る。愛して下さっている方の言葉を、どんな聞き方をしているか、ちょっと振り返ってみよう。