「もし、私たちが主の御心にかなえば、私たちをあの地に導き入れ、 それを私たちに下さるだろう。あの地には、乳と蜜が流れている」 民数記14:8

苦難のエジプトを出て、民は荒野に移された。その時に、主の示しにより、モーセは、カナンを偵察するため12人の斥候を遣わした。戻って来た彼らの結果は二つに分かれた。10人は否定的だった。民は強大で、自分たちはいなごのようで、攻め上れないと恐れて怯えた。しかし、ヨシュアとカレブは、上って行って占領しようと、信仰に立った。

 

民は、紅海が分かれるという、神の奇跡を経験して来た。カナンへ導き入れるとの約束も何度も聞いていた。だが、斥候の否定的言葉を聞いた時、神を信じる事が出来なかった。斥候の12人は、全く同じ状況を見た。しかし、信仰の目で見るのと、肉の目で見るのとでは、こんなにも結論が異なった。

 

人間は、否定的見方が強く、放っておくと、否定的方向へ進んでしまうと言われている。10人と民たちは、神ではなく、目に見える状況しか見なかった。しかし、ヨシュアとカレブは、神を見て、神の約束を見た。神は必ず約束の地カナンを与えられると。そしてその結果、彼らに導かれた人々は約束の地へ入って行くが、不信仰に陥った民は皆、荒野で滅んでしまった。

 

神は、そんな事は不可能だと言う、信じない人々と一緒に働く事がお出来にならない。私たちの思考は否定的、悲観的に傾いてしまう。神の言葉に立ち、御言葉を握り、御言葉で判断して行く訓練が大切だ。今、見ているものは、御言葉だろうか、状況だろうか。

 

・・・・・・・・・・・信仰生活は練習だ。御霊の気づきが与えられる事によって、状況を見る目から、上を仰ぎ、御言葉へと目を移される。目に見えるところの影響力はすさまじい。飲み込まれてしまう。しかし祈りつつ御言葉にじっと目を向ける時、まず心が変えられて行く事を経験する。