「神よ・・私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私を とこしえの道に導いてください」詩篇139:24

ある人が、職場の上司の事で悩んでいた。いつも大声で怒鳴り、ワンマンで、日々、仕事量は多く、残業は当然だった。深夜帰宅の早朝出勤、余りのストレスに、倒れそうだった。上司に過重勤務を訴えると、逆ギレされ、無視されるようになった。ストレスは更に高じて怒りとなり、不満が爆発、心がどうにもおさまらない。

 

祈れなくなり、御言葉も全く入らず、平安のない日々が続いた。心は重苦しく、もうどうにもならず、思わず助けを求めて、主に叫んでいた。心の底からの叫びであった。御前で心の内を打ち明け、祈っていると、「他人をさばくことによって、自分自身を罪に定めています」と、御言葉が臨んで来た。

 

自分は問題なく、自分は正しく、悪いのは上司、性格の悪い上司の問題としか見えなかった。非があるのは、一方的に上司で、自分は正しいのだから、自分の罪など見えない。どこまでも被害者だ。しかし御霊によって、心の内を照らされた。ずっと上司をさばいていた自分。だが、どこまでも自分を正当化しているので、自分に罪などあり得ない。

 

その罪を認め、悔い改めたその時、心に平安が来た。心に鉛があり、ずっと重苦しかったその心が平安にされ、その平安は何ものにも代えられない喜びだった。心底の安堵だった。嬉しかった。自分の心に潜むものを、御霊は探り、平安へと導いて下さる。

 

----------自分が被害者なのに平安が全く無い、怒りや悲しみ、それしか見えなくなってしまう経験は誰にでもあるだろう。自分を越え、全てを正しく導かれる主に、この謙遜な祈りをささげよう。