「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者 です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました」 Ⅱコリント5:17

ある人が、主を信じクリスチャンになった。生まれつき非常に真面目な性質で、更に真面目に信仰生活を送りたいと願った。懸命に御言葉を守ろうとした。世の快楽はやめ、罪からは極力遠ざかり、聖書を読む事に励み、怒りは抑えて、感情的になる事も自制した。あるところまでは、出来たのだが、ついにストレスが高じて、体調を崩してしまった。

 

床に伏せって、色々考えざるを得なかった。良い事を、善をして来たのに、このストレスは何なのか。信仰の先輩が見舞いに来てくれて、様々な事を話せて交われて、アドバイスをしてくれた。自分は、肉で、御言葉に従っていた事、肉で、一生懸命に実行してようとしていた事が示された。

 

自分はすでに新しくされており、御霊の内住があり、新しい自分とされている。それにもかかわらず、古い自分の力や知恵や判断で、必死に従おうとしていたのだと。新しくされているのに、御霊によってでなく、自分の力で歩んでいた。つまり新しいぶどう酒を、古い皮袋に入れていた。だから張り裂けてしまった。頑張りが、はじけてしまった。

 

自分はすでに新しくされている。委ねて、御霊に導かれて、御霊の力によって、歩む事が新しい皮袋に入れて歩む事だと教えられた。その中で、更に新しい者へと変えられて行く。すでに新しい自分、御霊が内住している自分、そこから始まるとは、何と幸いな事だろう。

 

-------------すみずみまで良い行いをすることで安心したい肉がある。自責で苦しくなる時、主を信じ救われた時に与えられた喜びを思い出したい。完全な罪の赦しと、主によって導かれて歩めるのだとの喜びに感謝した。その喜びは今も溢れている。