「あなたは、どうして礼服を着ないで、ここに入って来たのですか」 マタイ22:12  

主が、王子の結婚披露宴を開いた。ところが招待していた客は、皆、断って来た。神の事、永遠の事より、今の地上の事柄が大事で、心を奪われてしまう。王や祝宴などより、畑、商売、この世の事が重大事だ。そこで、王は、次に大通りで出会った者を皆、招くよう命令した。

 

片っぱしから呼んで来たので、宴会場はいっぱいになった。しかし、そこに婚礼の礼服を着ていない客が一人いた。王は怒って、外に放り出した。道で、突然呼ばれるわけで、誰も礼服など持っていない。だが、この礼服は、すべて主催者側で用意されていた。だから、放り出された人は、王の礼服を、故意に意識して不要と拒否したことになる。

 

自分の服の方が上等だと思ったのかも知れない。彼は、町で招かれ、招きは拒まず、やって来たのだが、王の前に出る「礼服」は拒んだ。「招待される者は多いが、選ばれる者は少ない」この客のようだろうか。自分の服で、自分を着飾る。自分の功績、自分の力を捨てない。捨てたくない。自分の良い行ないで、義と認められようとする事だ。

 

神の考えより、自分の考えを正しいとするなら、神を拒否する事であり、礼服を拒む事だ。王の礼服、義の衣、主キリストを着て、主と一つとなり従って行こう。そして披露宴の大きな喜びと楽しみにあずかろう。

 

--------------どんなに美しく装っていても、神の用意してくださっている服を着ないで祝福に与ることはできない。イエス・キリストを着なさいと御言葉は度々警告してくださっている。主を身にまとい、主を着て歩もう。