「窮した者の祈りを顧み、彼らの祈りをないがしろにされなかった からです」詩篇102:17

ある人が、神から伝道者の召しを受けた。そこで仕事を辞め、郷里を出て、神学校に入学した。寮生活を送り、学びを受け、充実した学生生活を送っていた。だが学年が進む時に、お金が無くなってしまった。想定外の出費が様々あり、所持金が底をついてしまったのだ。とにかく祈ろうと、祈りに祈った。

 

主のために学びをしているのであり、主は必ず必要を満たして下さるはずではないのか・・更に祈った。天地のすべては、主のものであり、主のお心一つで与えることがおできになる・・しかし、なかなか与えられず、なおも祈るが、とうとう期限になってしまった。

 

自分としては精一杯祈った。だが、与えられなかったので、退学も止むを得ず、郷里に帰ろうと、自分の部屋の荷物を整理し、荷造りしていた。そこへ学友がやって来て、実はお金が無くて続けられないと言った。彼も同じだったのだ。幾ら足らないのかと聞くと、それが丁度、自分の手元にある額だった。 自分のためには不十分だが、彼のためには間に合う。それを彼に差し出した。彼は驚いて感謝した。荷造りすべて終了し、最後に、一つの封筒が残っていたが、もう見る気力もなかった。そこで友人が代わりに開けてみると、何と学費のための小切手だった。

 

彼と二人で手を取り合い、感謝し、喜び、主の御名を崇めた。窮した者の祈りを顧みて下さる主に、祈ろう。

 

-------------主はご自身により頼む者を助けてくださる。それが私たちの確信だ。主は祈る前から私たちに無くてはならないものをご存知で、それはすでに備えられている。力強く祈ろう。