「神よ。私を探り、私の心を知って下さい・・私のうちに傷のつい た道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください」 詩篇139:23 

ある人が海外留学となり、皆に見送られ、喜んで出発した。ところが翌年、何とした事か、書類上の事で、不手際があり、これ以上滞在不可能との事態になった。自分の過失であり、幾度も説明し、交渉したが、どうやっても継続滞在の許可が下りなかった。主の御心だと思って来たのに、なぜこんな事に? 自分の落ち度なのだが、わけがわからず、悶々状態で、祈りに祈った。

 

その時、心の内が照らされて、帰りたくないのは、主の御心がどうこうなどで無く、人はどう思うのか、何と言うだろう、人に笑われる、プライドが傷つく。御心などの問題でなく、人の目が問題であり、人を恐れている自分に気づいた。盛大に送り出されたのに、のこのこ帰る自分が惨めで恥ずかしい。結局、自分、自分と、自分の事だけではないのか。

 

主の御心など、大義名分で、たいそうな事を言いながら、実は自我、自分しかない事を見せられ、心砕かれて、心底悔い改めた。すると平安が来て、心がすっきりした。心に喜びが溢れた。帰国を心平安に決意できた。すると、事態を知った現地の友人たちが、公的機関を走り回り、掛け合い、様々な方法で必要な書類を整えてくれたのだった。

 

その結果、何と滞在許可が下りた。主は、目の前の一つ一つの出来事を通して、心の内を照らし、お心にかなう者へと変え、成長させて行って下さる。問題が問題なのでなく、いつも何かを教えようとされている。

 

------------自分でも意識していなかった表に現れない弱さ、醜さを主は様々な場面を通すことで教えてくださる。見たくなかった痛い部分であっても、主よ教えてくださいの心で目の前の問題を見ていたい。