「高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ」 箴言16:18

私たちは、皆、主によって罪が赦された。しかし、まだ肉の性質があり、主に拠り頼まなければ、肉は罪を犯してしまう。血潮により罪赦されているが、今後いっさい罪を犯さなくなるわけではない。私たちの犯す罪の内、最たるものは何だろう。

 

ある著者は、その罪を私たちが他人の中に見つけるなら、非常なる嫌悪感を持つが、その同じ罪が自分の中にあると気づく人はほとんどないと言っている。その罪とは、高ぶり、プライドといったものだ。明けの明星が天から落ちたのは、この高ぶりだった。

 

高慢はサタンの最たる特徴だ。アダムとエバが犯した罪も「あなたがたは神のようになり」という高慢だ。カインはアベルの献げ物だけが受け入れられた事に嫉妬し、弟を殺害した。プライドが傷ついたためだ。人々が「天に届く塔を建て、名をあげよう」とバベルの塔を建てたのも高慢のゆえだ。

 

サウルがダビデをつけ狙ったのも、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」との女たちの言葉がプライドに触れた。プライドは神を愛する事の対極にある。プライドは自らを高め、自らを神とし、人より上でなければ気が済まない。自らの破れた状態を知り、無力を認め、へりくだり、ただ神の愛ゆえに今ある事を知る人は、神を「愛して」いく。それらは相容れないものだ。

 

------------内にあるのに気づけない高ぶりに気づく時とはいつだろう。自我に直接触れるはずだ。傷ついた痛さより、教えてくださった主の愛を見て、気づけたことを感謝しよう。主に悔い改めてやり直せる。