「いのちに至る叱責を聞く耳のある者は、知恵のある者の間に宿る」 箴言15:31

人は、本当のことを、真実を指摘される時、耳をふさぐ。聞きたくないからだ。ステパノが議会で弁明をした時に、はっきりと真実を述べた。その時、「人々は、耳をおおい、いっせいにステパノに殺到した」。ステパノの弁明で、神は人の手で造った神殿には住まないと言い、いつでもどこにでもおられる。

 

あなたがたはいつも聖霊に逆らっている、そしてモーセの律法を守ったことがないと、直に語った。それは人々を激怒させた。そして、人々ははらわたが煮え返る思いで、ステパノに向かって歯ぎしりしたとある。ステパノの語った言葉が、正しかったために、人々は怒り狂った。

 

そして「天が開けて、人の子が神の右に立っているのが見える」と、イエスがメシヤである事を大胆に、証しした時に、迫害者たちは耳をおおって、ステパノに殺到し、町の外に追い出し、石打ちで殺害してしまった。それはステパノを迫害する者たちが、彼らの隠れた姿をあらわにされたからだった。何とステパノを抹殺してしまった。人は、本当のこと、真実を指摘される時、耳をふさぐ。聞きたくない。

 

真実と向き合おうとしないからだ。真実を見ようとしない人、又、真の自分と向き合おうとしない人は、真実の言葉を恐れる。避けて、のけて、受け止めない。聞く耳を持たないなら、自分をごまかしてしまう。主は「耳のある者は聞け」と言われ、御言葉に真正面から向く時に、痛いかも知れないが、解決へと導かれ、真の平安へと導かれて行く。今、聞くべき言葉が示されているだろうか。

 

-------------聞きたい言葉だけを聞いていれば自分はいつも問題はなく平和だろうか。神の目を通した本当の自分を御言葉は示される。痛いけれど豊かな成長への導きだ。耳を閉ざさず向き合おう。