「人を恐れるとわなにかかる。しかし主に信頼する者は守られる」 箴言29:25

ある人が、隣人からいわれのない誹謗中傷を受けた。全く事実無根の中傷を言い触らされ、巡り巡って、耳に入って来た。悪口を言われ続けた。わけもわからず、辛くて辛くて、涙ながらに祈る日々だった。

 

結果的に、その相手は精神の病だと判明し、入院となった。苦しい試練の期間であったが、主の取り扱いであった。 いかに自分が人の目を気にし、人に良く思われたいか、人からの評価、それが自分の命となっていて、それが自分の最たる弱さである事を教えられた。人にどう思われているかが、気になって仕方がない。それは恐れになってしまう。その苦しい事態があったがゆえに、主に自分を委ねる事ができた。

 

そしてその辛い試練を通過した時、以前の自分と変えられていた。人の目が気にならなくなっていたのだ。奇跡のようだった。試練を心から感謝できた。人を恐れると、絶えず心が定まらず、人の言動に反応し、振り回されてしまう。

 

振り返って、あの時、この時、どうだろう。人の、あの言葉、この言葉で平安を失ってしまう。落ち込んだり、いら立ったり、疑いが生じたり・・喜びを奪われてしまう。「人を恐れるとわなにかかる」の通りだ。

 

しかし、主に信頼する者は守られる。人にどう思われるかを判断基準にするのでなく、御言葉を判断基準にして行く時に、心は平安に守られる。「・・しかし御言葉はこう言っている」そこに立ち続けよう。

 

・・・・・・・・・・・・どうしても見えるものに、大きく影響を受けてしまう。目に見えない神より、見える人からの賞賛が欲しい。しかしそれは恐れにもなる。人の目が気になって仕方が無い。解決は主に信頼する事だと。御言葉に力がある。まずはありのままを祈りに持って行こう。