「わたしのこれらのことばを聞いてそれを行なう者はみな、岩の上 に自分の家を建てた賢い人・・」マタイ7:24

山上の説教の最後で、二種類の土台があると言われた。二つの家がある。外側は違いがない。しかし土台が違う。一方は「岩」で、もう一方は「砂」だ。そして岩の上に建てるのが賢い人で、砂の上が愚かな人と。順境の時は、外側が同じなので、見た目には何ら変わりがない。しかし雨、風、嵐の逆境の時に違いが明らかになる。

 

私たちの人生、必ず試練が来る。経済的苦境、病気、不登校、対人関係の悩み、離別・・突如として襲って来る。その時に、大きな違いが明らかになる。岩の上の家は、絶対に倒れず、嵐の中も耐え、乗り越えて行ける。しかし砂の上の家は、大きな悩み問題が起きた時に、立ち行けずに、崩れて倒れてしまう。

 

家庭内問題が起きた時に、岩の上ならどんなに困難であっても必ず乗り越えて行けるが、砂の上なら家庭崩壊してしまう。その倒れ方はひどいとある。岩の上に家を建てるとは、神の言葉を聞いて行なって行くことだ。砂の上に建てるとは御言葉を聞くが、行なわない。山上の垂訓の一番最後に、この箇所が出て来る。「あなたの敵を愛せよ」となど、自分の力、人の頑張りでは不可能だ。

 

しかし自分の力で行なうのではない。主につながる時に、御霊が成し遂げて下さる。助けるために共にいて下さる。自分にはできない、だが祈って行く時に、取り扱いを受け、一つ一つと成し遂げられて行く事を経験する。御言葉を行なって行く事が、主を愛することだ。そして、主を愛する人のためには、すべての事を益として下さる。何と感謝だろう。

 

------------試練や問題の中で、自分の感情では絶対にしたくない事も主の御言葉だからと従い激しい雨風から守られた。また逆の苦い経験もある。御言葉は聞いて流さず従おう。その一歩が必ず岩とされる。