「あなたが、このことをなし、あなたの子、あなたのひとり子を惜 しまなかったから、わたしは確かにあなたを大いに祝福し・・」 創世記22:16

アブラハムは、神が約束されたイサクを得るために、25年待った。長い歳月だ。イサクを得たのは、アブラハム100歳、サラ90歳の時だった。忍耐に次ぐ忍耐の末だった。しかし彼らも人間で、私たちと同じ弱さを持ち、数々の失敗があった。子供が授かる気配が無いので、待ちきれずに、信仰によらず、自分たちの思いで、奴隷ハガルによりイシマエルを得た。

 

ここで大きな失敗をしてしまった。しかしアブラハムは信仰の人として名を連ね、賞賛を受けている。愛する子イサクを献げるようにとの厳しい試練が臨んだ時に「翌朝早く」、アブラハムは、「すぐに」主に従順に従った。その彼に神は「あなたが、この事をなし、ひとり子を惜しまなかったから、確かにあなたを祝福し」と神から大いなる祝福を受けた。

 

だが、極めて苦しい試みであった。25年も待ち望んだ最愛の我が子だ。そして、このイサクから子孫が大いに増え広がるという約束はどうなるのか。イサクが「いけにえの羊はどこに」と聞いた時に、彼は「神が備えて下さる」と答えた。彼は全く神を信頼した。しかし、いよいよイサクをいけにえとし、刀を振り下ろす瞬間に止められた。

 

そこには代わりの羊が用意されていた。これは彼も知らなかった事だった。私たちも先は見えず、明日はわからない。しかし主は私たちの先をご存じだ。どんな試練の時でも、一歩一歩この主に信頼して歩む時、信仰人生で、絶えず「主の山の上に備えあり」を経験して行く。

 

---------------必ず祝福してくださると信じて山を登って行くも、いけにえの羊は刀を振り下ろす瞬間まで現れなかった。何という試みだろう。自分の思い込みでの期待や落胆は捨て、一歩一歩の信頼を学ばされる。