「わたしは高く、聖なる所に住み、心砕かれて、へりくだる者と共 に住む。へりくだった人の霊を生かし、砕かれた人の心を生かすた めである」イザヤ57:15

アダムとエバがエデンの園で、神のようになりたいと、罪を犯して以来、人はプライドで生きている。男性は仕事への野心、地位、名誉に高いプライドを持ち、母親は子供に自分の夢を託し、プライドを満たそうとする。対人関係では、プライドとプライドが衝突し、火花を散らし、怒りや憎しみが生じる。

 

ある婦人は隣人に、いら立っていた。余りに立ち入って来るので、怒りが湧いて来る。忍耐が限界となった時に、主のへりくだりを示された。そして自らをよく省みる時、こちらにも非を示され、一段下がってへりくだり、日頃の助けを感謝できた。すると相手も柔らかくなり、いい関係になり、そうこうしていると、悩みの相談を受け驚いた。御霊に従う事の祝福を経験した。

 

プライドに生きると、決して心休まる時が無い。パリサイ人は徹底してプライドに生きた人たちだ。彼らの立派な行いの動機は、愛ではなくプライドだった。プライドでも立派な行いが出来る。そのため肉の行いに気づかない。

 

しかし主はプライドとは無縁で、徹底して愛に生きられた。様々な悩みや問題が起きる。その中でプライドが砕かれ、へりくだらされる。聖めようとの神のご計画だ。今、問題があるなら、あるいはプライドが潜んでいるだろうか。主にあるがまま祈って行こう。取り扱って下さる。

 

・・・・・・・・・・・プライドによって良い行いが出来てしまうので、それがプライドによると気づかない。しかし動機はプライドであって、愛ではない。パリサイ人になってしまう。動機が愛だろうか、心を探って頂こう。そして、御心に沿う動機へと導かれるよう助けを求めて祈ろう。