「これこそ悩みのときの私の慰め。まことに、みことばは私を生か します」詩編119:50

ある人が、苦しい、厳しい試練の下にあった。余りにも苦しい日々に、心は押しつぶされるようで、御言葉を読むことも、祈る事も出来なかった。気力が起きて来ない。神がいる事はわかるのだが、自分は祝福されていないと思っていた。他の人々が幸福そうに見えた。心が滅入り、落ち込んだ。

 

しかし、信仰にある人々が自分のために祈ってくれていた。声かけや御言葉で励ましてくれた。後で思えば、つらい中も、周囲が送ってくれた御言葉で生かされていた。ある時、別関係の友人二人から、全く同じ御言葉が送られて来た。その時、これがまさに自分への神からの言葉、自分への御心と信じることができた。素直に受け取れた。

 

その時から、御言葉により立ち上がれた。又、ある人は、非常につらい試練の中で、心身弱り果て、もう考える事もできず、祈る事もできなかった。何もどうにもならなかった。しかし、心は沈むばかりで、聖書を読む事もできず、ある時、聖書をパラパラと見ていた。読むというのでなく、ただぼうっ~と、見ていたという状態だった。

 

しかし、驚いた事に、そのぼおっと見ていた中で、ある御言葉が、突然光を放ち、心に入り響いて来たのだ。沈んだ、無気力な心に主が臨んで下さった感じだった。御言葉により再び立ち上がることができた。どんな時にも、私たちを生かしてくれるのは御言葉だ。主は悩みの時に、御言葉を与えて下さる。

 

-------------不安で悪い方へと考えが流されているまさにその時、壁にかかっている御言葉に思いがさっと引き上げられる。恐れるな。わたしはあなたとともにいると。主の御言葉が手を取り立たせてくださった。