「すると、すぐに、血の源がかれて、ひどい痛みが直ったことを、 からだに感じた」マルコ5:29  

一人の女性が、12年もの長い間、長血の病にあった。その間、次から次へと望みを託して、多くの医者にかかったが直らず、財産も使い果たしていた。長い歳月、どんなに恐れと不安にさいなまれ、苦しみとつらさの中にあった事だろう。もう必死に、あれこれと画策し、やってみた事だろう。 しかし「何のかいもなく」、努力のかいなく「悪くなる一方」であった。更に悪化し、すべての道が閉ざされ、もう何の望みも持てず、まさに絶望だった。そんな時に主イエスの事を耳にした。瀬戸際の必死な思いであり、着物にでも触ればきっと直ると信じ、主の着物に触った。すると触った瞬間、癒された。

 

主は「だれが触ったのか」と触った人物を捜された。人の心の中まで見透かされる主は、聞くまでもなくご存じであったろう。しかし女性のために、女性が、主ご自身と接触するようにされた。そのまま帰るなら、身体は治ったが、残りの人生、主とは何の関係も無く生きて行くことになる。

 

すると彼女は「ひれ伏し」人前も構わず、主にすべての今までの真実を告げた。「安心して帰りなさい」との宣言を受け、12年間の心の苦しみ、悲しみ、傷が何もかも癒された。心身を癒され救いを受けた。「安心して」とは何という喜びだろう。主は不安と恐れを安心に変えて下さる。 私たちも主に自分の苦しみを打ち明けよう。主は癒して下さる。

 

又、主は一刻を争うヤイロの娘へと向かう途上に、女性に対応された。一途に主を求める魂を、主は必ず顧みて下さる。

 

-------------病にあっても健やかでいられるのは、祈る前から必要をご存じの主にあるがままを訴え、満たされる安心感があるからだ。もう一人で走り回りびくびくしなくても良い。その健やかさの源を知っている。