「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れませ ん。それらは彼には愚かなことだからです」Ⅰコリント2:14

ある人がしょっ中、牧師に相談に来ていた。牧師は相談事をいつも聞き、御言葉から助言していた。その人は「はい、わかりました」と帰るのだが、御言葉には従うことなく、いつも自分の思い通りにしていた。

 

そして、それを幾度も繰り返していた。口では「わかりました」と同意するのだが、実際は御言葉でなく、自分の考えに従って行動する。だから同じ失敗を繰り返していた。 実は自分の考え、価値観がしっかりと根にあって、自分は正しいと思い、そして自分の考えの方が良いように思えるからだ。「生まれながらの人間は、神の御霊に属することを受け入れない、それらは彼には愚かなこと」だからとあり、肉は、生まれつきの性質には、御言葉に従う事が愚かな事に思える。

 

「そんな事をしていたら、この世の中渡って行けない」「そのようにするなら、自分の時間はどうなる、労力も要るし」「そんな事をしたら、人に変に思われる」「自分が少々献げても、焼け石に水、何にもならない。無駄だ」と、愚かな事に思えてしまう。サタンも祝福を奪い取ろうと常に攻撃して来る。

 

自分の思いと判断に立ち、都合の良い言葉だけを受け取っているなら、決して成長する事はないし、実を結ぶことがない。主のみわざを見ることもない。堂々巡りするばかりだ。御言葉をどう聞いているだろう。愚かな事に見せて来るサタンと肉をわきまえて、御霊の助けのもと、一歩、目の前の御言葉に従おう。

 

-------------見た目の幸せや得で安易に御霊の導きを流してしまう。御言葉に従う目的は何だろう。目先の幸せではなく、ご誠実な主を知り主のかたちに似せられ、清く変えられていくことではないか。