「主を恐れることはいのちの泉、死のわなからのがれさせる」 箴言14:27 

罪は苦い、つらい、苦しいものと思いがちだが、そうではない。罪には快楽が伴う。罪は苦いのでなく、甘く、楽しいのだ。快適で、心地良い。罪が苦ければ、誰も罪になど誘惑されないし、これほど多くの問題は起こらない。甘い罪への誘惑は、悪魔の策略だ。欺かれてしまう。

 

肉に歩んでいながら、それは快感であり、心地良いので、一見何の問題も無いと思ってしまう。快適なのだ。万事うまく行っていて、大丈夫だと錯覚させられる。実は、御心に反し、反対方向に向かっていながら気づかない。死の道が、人の目にはまっすぐに見えると、御言葉は言う。まっすぐに見えるので欺かれてしまう。

 

サタンの狡猾巧妙な罠であり、要注意だ。自分の目には、まっすぐに見えているという事であり、わきまえていよう。しかしサタンにだまされて歩んで行くと、悲惨な結果に行き着く。それは死の道だ。そして蒔いたものは必ず刈り取る。蒔いたものに責任を取らねばならない。これは法則なので例外は無い。

 

神から離れて、御心に反しているのに、別に問題なく、楽しいからいいではないかと思ってしまう。しかしそれは欺かれていて、悪魔の罠だ。後で思い知り、苦しい刈り取りをする事になる。悪魔の策略は、人の目には、万事0K、問題無い、うまく行っていると見える。

 

もし、御言葉に反する道に行っているなら、どれだけ楽しくても、心地良くても、すぐに方向変換しよう。そして、大切なのが、日々主と交わる祈りの生活だ。主にとどまっているなら、間違った時には、気づきが与えられる。方向変換ができる。

 

-------------大きな罪は解りやすく慎重に主に頼るが、日常の小さな罪の惑わしにどれほど気をつけているだろう。日々の主との交わり、御言葉を通し自分自身の今をいつも気づかせて頂きたい。