「人が自分の敵を見つけたとき、無事にその敵を去らせるであろう か。あなたがきょう、私にしてくれた事の報いとして、主があなた に幸いを与えられるように」Ⅰサムエル24:19

サウル王はダビデをつけ狙い、殺意を持って追い続けた。ある時ダビデたちは、ほら穴の奥にいた。それを知らずに、サウルはそこで用をたした。もしこの時、ダビデが見つかっていたら、殺されていただろう。しかし「サウルはいつもダビデを追ったが、神はダビデをサウルの手に渡さなかった」と、神はご自身の主権と支配によってダビデを守られた。

 

ある時、サウルは、ほら穴で眠ってしまった。ダビデの部下は、今こそが神からの好機、千載一遇のチャンスと、ダビデにサウルを打つよう進言した。しかしダビデは「油注がれた方に対し、主の前に絶対にできない」と手出しせず、サウルの上着のすそをこっそり切り取った。その事ですらも心を痛めた。

 

そして部下を説得しサウルを襲う事を許さなかった。ダビデは神を畏れ、神を信じていた。サウルはダビデを狙い回したが、ダビデは決して反撃しなかった。サウルに、ひれ伏し、わざわざ自分の非を詫びた。そして自分はずっと無実であり、この時にも手を下さなかった事を、認めて貰えるよう願った。

 

被害者が加害者を赦し、へりくだって、お願いするという驚くべきダビデの姿だ。「サウルは声を上げて泣いた」が、この後もサウルの妬みは去らず、悪化の一路を辿った。しかし闇の中で、光が輝くように、嫉妬、悪意の中で、その信仰は、ますます輝きを増す。

 

-------------神を畏れない高慢は、感情の虜となり誰の目にも明らかな愚かさを撒き散らしていく。ダビデのように神の秩序のゆえに身を低くし、わきまえていたい。それこそ信仰の勝利だ。