ある人が、職場でどうしても、そりが合わない相手がいた。話すと、なぜかぶつかり合う。ギクシャクし、相手にトゲを感じる。嫌われているように感じてしまう。傷つくので、段々対応が苦痛になり、その事を祈りに持って行った。主の前で静まり、ことごとく打ち明け、主と交わった。
すると相手の嫌な所、欠点ばかりが目に付き、そういう見方しかしていない自分に気づかされた。心では相手を責め立て、裁いている自分がいた。相手にトゲを感じていたが、実はトゲを出していたのは自分の方だった。丁度そんな時に、主のへりくだりを教えられた。「自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまで従われた。」
ご自分を何もかも捨てて十字架にまで、従順に従われた主の姿に、自らの高ぶり、愛の無さを示された。主のへりくだりに、自分の姿を見せられ、心から悔い改め、へりくだれるように祈った。へりくだりたいと心を向けて祈り続けた。そんな時、相手と仕事の事務的な話をしたが、相手との関係が変化している事に気づいた。自分が変えられていた。
自分がへりくだろうと祈る時に、主が働かれる事を見せられた。穏やかに話ができ、トゲが消えていた。こちらがへりくだって、相手に対して心を開く事ができたので、相手も変わったように感じた。悔い改めて、主に拠り頼む時、主はそこに働かれる。あなたも今、へりくだる事を示されているだろうか。主の姿を仰ごう。
------------主の忍ばれた悲しみの道を思うとき、何と自分だけが大切な者だろうかと思わされる。目の前の棘は痛いが、主は全てを知っておられ正しく取り扱ってくださる。へりくだらされる事は何より感謝だ。