「御霊の実は、愛、喜び、平安、寛容、親切、善意、柔和・・」 ガラテヤ5:22  

私たちの悩みは、対人関係に関する事が多いと言われている。職場でも、仕事自体より対人関係で悩むと。しかし、その人間関係の中で、私たちは砕かれ、練られ、成長して行く。御霊の実を結んで行く。批判されたり、悪口を言われたりする。それは思い当たる所があったり、又、全く理不尽だったりする。

 

人から面と向かって非を指摘された時に、ムッとするだろうか。どう言い返そうかと、怒りでいっぱいになるだろうか。しかし対人関係において、反応する自分に、自分の真の姿が照らし出される。人里離れた山の中で、一人暮らしをしていて、自分は愛深く、寛容で、親切で、忍耐があり、自制があり・・と思うのは簡単だ。

 

誰とも摩擦がないし、関わりを持たなくてよい。何をしようと人に迷惑かける事はない。目の前に人が来た時に試される。本当の自分があらわになる。自分に愛がない事、寛容も、忍耐も、自制もない事を知らされる。しかし、それは目の前に、相手が送られなければわからない。自分は愛深いと思い込んでいるものだ。

 

目の前の苦手な相手が、自分を成長させ、成熟させてくれる。鉄は鉄によって研がれる。鉄は熱い炉に溶かされ、不純物を除かれ、打ちたたかれ、磨かれる。主が私たちから不純物を取り除き、砕き、磨くために、人間関係を用いられる。私たちを精錬し、そして豊かな実を結ばせて下さる。

 

-------------苦手な人に愛をもって仕えるという選択は肉にはない。けれど私たちはもう御霊の導きの中に生かされている。そこを信じ肉の思いに逆らう選択をしたい。その祈りを主に献げることからはじめよう。