「私たちには五つのパンと二匹の魚のほかは何もありません」 ルカ9:13

男だけで五千人の人々、女、子供を入れるともっと大人数の人々が、主のお話を聞きに集まっていた。夕刻になり、弟子たちは、人々を回りの村々に分散させ、宿と食事を取れるようにと、主に申し出た。ところが主は「あなたがたで、何か食べる物を上げなさい」と言われた。

 

その時に、弟子たちには、子供のお弁当小さな五つのパンと二匹の魚しかなかった。それ以外には何も無かった。しかし、主はそれを持って来るようにと言われ、その五つのパンと二匹の魚を受け取られ、それを天を見上げ、感謝の祈りをされ、弟子たちに群衆に配るようにと与えられた。

 

すると、人々は十分食べて皆が満腹し、なおパンくずを集めると十二のかごがいっぱいになった。私たちはどうだろう。多勢に無勢、こんなものが何になろう。何の役に立つのだろう。私たちの時間、労力、金銭・・莫大な必要を前にして、私の献げるものなど焼け石に水、無きに等しい。献げても無駄、そんなふうに思うだろうか。

 

しかし、男だけで五千人、全員だと一万か二万人か。そこに小さな五つのパンと二匹の魚だ。量の多い少ないでなく、主がおられることが重要だ。主がおられるなら、どんなに僅かでも問題無い。あなたの手にある時間、労力、金銭、それで十分と。

 

あなたの手に置いておくなら、それはそのままだ。しかし主のもとに持って行くなら、主が大きなみわざをされ、皆が栄光を拝することになる。主の手にあるかどうかだ。

 

-------------手の中の物を見ると無いに等しい僅かな物に見えるが、そこしか見ないのは何と不信仰だろう。主はいつも大きく用いてくださった。信仰を持って主の手に渡して行きたい。