「『きょう。』と言われている間に、日々互いに励まし合って、だ れも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい」 ヘブル3:13

ある人が、非常に厳しい試練に会っていた。続く苦しみに打ちのめされ、聖書を開く事も、祈る事も出来なかった。神はわかるのだが、自分は祝福されていないと、心を屈折させてしまっていた。他の人々が幸せそうで、羨ましいばかりだった。心が沈み、落ち込んだ。教会へも、人の集まりにも行けなかった。人に会いたくなかった。

 

そんな中、友人が訪ねてくれた。頑なな心の拒否反応が出て、会いたく無いのだが、仕方なく会った。でも、もう一方で、こんな自分をわざわざ訪ねてくれて、申し訳ないとの思いがあった。御霊が導かれる新しい性質の反応だった。しかしそれがきっかけで、又、教会へ行ってみようと思えた。御霊の働きだった。

 

ある人は、やはり大きな苦しみに会い、心身消耗しきっていた。弱り果て、もう考える事も、祈る事もできなかった。気力が無く、どうにもならなかった。家族が、懸命に祝福を伝えて、励ましてくれるのだが、心が動かなかった。しかし、その励ましによって、御言葉を読む気力までは無いが、聖書を取り、パラパラと見ていた。

 

読むのでなく、ぼおっと見ていたという状態だった。しかし驚くべき事が起こり、その見ていた御言葉が心に響いて来たのだ。語りかけて来た。光が射したようだった。御言葉により、今の苦しみの状況が、ふに落ちたのだ。そこからもう一度立ち上がることができた。親族の励ましに感謝した。

 

-------------御言葉は語られる。そして自分に向けて語られたと解ることは感謝だ。心を鈍くせずキャッチしよう。古い価値観は御言葉に信頼させないように働いてくるが惑わされず御言葉をしっかり心に留めよう。