「あなたがたのいのちは、いったいどのようなものですか。あなたがたは、しばらくの間現れて、それから消えてしまう霧にすぎませ ん」ヤコブ4:14

いつも「主の御心なら」という意識は大切だ。自分の人生のあらゆることに、へりくだって主を認めて行く事は幸いだ。何かをしようとする時に、自分の意志と神の意志はどうだろう。又、その動機の部分はどうだろう。ある人が、ボランティアをしようと思った。しかしその時「主の御心なら、このことを、または、あのことをしよう」との言葉があり、主のみこころはどうなのだろうと心探られた。

 

単に自分が良い事をしたいという「自分の思い」か。自分のプライド、見栄なのか。自分の自己満足なのか。人の目を意識し、人の賞賛を得たいがためだろうか。もっと別に本当にやるべき事があるかも知れない。何かをしようとする時に、まず祈る事は大切だ。主のみこころを求めてみよう。

 

人には、自己実現という欲もあるので、良い事だとしても、神の栄光でなく、自分の欲望を満たすためにしてしまう。自分の計画が「主のみこころなら」それをしようとの姿勢が大切だ。箴言19:21“人の心には多くの計画がある。しかし主のはかりごとだけが成る”とある。自分の計画をまずは祈りに持って行こう。

 

そして「主のみこころなら、私たちは生きていて」とあり、「明日~しよう」と言っても、明日の事はいっさいわからず、明日生きているかどうかは、私たちにはわからない。主の御前にへりくだって、主を求めて生きることが大切だ。

 

-----------一瞬でかき消えていく霧のように心もとない存在なのに、自分の願いと努力で今日も生きていると思ってしまう。高ぶれる所はどこにあるだろう。主に許されて任された一日をへりくだって歩みたい。