「『きょう』と言われる間に、日々互いに励まし合って、だれも罪に惑わされてかたくなにならないようにしなさい」ヘブル3:12

ある人が、職場で厳しいきつい上司に悩まされていた。膨大な量の仕事を言いつけられ、暴言でひどく傷つけられたり、人の前で嫌味を言われたり、苦しくつらい思いをしていた。出社拒否になりそうな中、心身疲れ、余りにつらく、牧師のもとに行った。牧師は、話を聞いてくれた後、「では、その人の祝福を祈りましょう!」と言った。

 

内心「え!!そんな」急に言われても、びっくりし、とんでもない事で、あり得ない展開だった。だが、聖書には、「悪をもって悪に報いず・・かえって祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召された」とある。あれこれ言う間もなく、牧師が先に祈り出した。

 

牧師はその相手の祝福を祈り、そして相談したその人が祈れるように熱心に執り成してくれた。心に非常な葛藤があった。嫌いな上司だ。しかしこのままで良いはずはない・・。このまま憎み続けるのか、それとも主に従う道を選択するのか・・、心は悶々状態だ。自分の祈りの番になった。岩のように固い自我が妨げて来る。祝福などしたくない。

 

しかし、主に従いたい思いもある。「出来ません。神様!助けて下さい!」心の中で叫んだ。その時、「上司を祝福してあげて下さい」との祈りの言葉が出た。祈り終わると、心がすっきりしていて、祈る前とは打って変わって平安になっていた。牧師の執り成しに、主が答えて下さった。

 

-------------御言葉や御霊の導き、兄弟姉妹の助言と祈りの中に日々生かされている。真に平安を与えるべく主の備えてくれたものだ。肉の価値観はいつもノーと言うが、迷い出ることなく主に従う選択をしたい。