「あなたがたのものにならないのは、あなたがたが願わないからで す」ヤコブ4:2

私たちは、様々なことを祈りに持って行くことができる。主は、求めよ、祈れと言われている。「あなたがたのものにならないのは、願わないからだ」と。何でも祈って良い。しかしある人は、祈っているのに、祈りが答えられない、幾ら祈っても答えられないと言う。

 

まず祈りの原則にあるように、「その耳が遠くて聞こえないのではない。あなたの咎が神との仕切りとなり」もし罪があれば悔い改める必要がある。又、「願っても受けられないのは、自分の快楽のために使おうとして、悪い動機で」とあり、自己中心な動機があるかも知れない。

 

又は、自分の願いと、主の願いが違っているのかも知れない。一致していない。自分の思いが強く、自分の思いに固執してしまっていないだろうか。主のみ思いを尋ねてみよう。祈りを軌道修正しつつ、主のみ思いに合致するように導いて下さる。

 

又、御心にかなってはいるが、答えられる時期が今ではなく、更に先なのかも知れない。忍耐をもって、待ち望む必要があるのかも知れない。又、あるいは、別の形で答えられているが、自分の思いしか無いため、気づかず、見えないのかも知れない。

 

自分はAを祈っていたのに、Bの答えが来たなら、それは、Bが神の御心であり、自分の思いとは異なるが、自分にとってベストと信じて受け取ることが大切だ。その先に豊かな祝福が用意されている。御霊が心を探って下さる。動機をきよめ、忍耐を与え、軌道修正しながら祈りを導いて下さる。その導きのみ声に耳を傾けて行こう。

 

--------------ご自分の栄光の富を持って必要を満たすとの御約束は真実だ。答えられない祈りをもう一度吟味して、そこから正すべきことがあれば悔い改めたい。御心の祈りをまっすぐに主に献げていきたい。