神は一見、非情とも思える命令をアブラハムに下された。息子イサクを全焼のいけにえとして献げよと。私たちの理解を超えたことだ。そして、彼にとってイサクとは、25年の忍耐を経て、待ちに待ってやっと与えられた子供だった。そのイサクから子孫が天の星の数ほどに、増し加えられると。
その子供を殺してしまったら、約束はどうなるのか。断ち切られてしまうではないか。神の言葉と矛盾する。色々な思いが彼に巡ったろう。本当に神が言われたのか。自分の聞き違いではないのか。しかし、彼が神と近く交わり、神と共に生きて来た日々がある。これは確かにいつも聞いている御声であり、間違いはない。彼は従うべく「翌朝早く」出発した。
すぐに従う事は大切だ。必ずサタンが攻撃して来て、様々な思いを吹き込み、従う事を妨げる。ぐずぐずすると従えなくなってしまう。そして告げられた場所で、祭壇を作り、たきぎの上にイサクを置き、刀を取ってまさに、ほふろうとしたその時に、「手を下してはならない」と神のストップがかかった。自分のひとり子さえ惜しまずに献げ、神を恐れることがよくわかったと。
神は彼が「神を恐れる」者であることを試しておられた。理解できたら従う、納得がいけば従う、のではない。示された事に従って行く、それが神を畏れるということだ。この事をなし、ひとり子を惜しまなかったから、大いに祝福すると。「あなたがわたしの声に聞き従ったからである」と。
------------一歩見えたら歩き始めようといつまでも出来ない条件ばかり数えていないだろうか。約束の御言葉を信じ従おう。主を畏れ一歩踏み出す時に主は信仰も備えてくださる。