「みことばを実行する人になりなさい。自分を欺いて、ただ聞くだ けの者であってはなりません」ヤコブ1:22

ある人が、隣家と、敷地の事で折り合いがつかず、行き違いが、争いになってしまい、難しい関係になっていた。解決がないまま、関係はこじれて、険悪になっていた。嫌がらせのような攻撃もされ、重苦しい空気だった。相手は隣であり、顔も合わせるし、ぎくしゃくし、心重く、晴れない日々であった。

 

そんな中、友人が教会に誘ってくれた。思うところもあり、素直に行ってみたいと思えた。通い続け、学びをしている内に、主を受け入れる決心ができた。この隣家との苦しみが、主を求めるきっかけになったのであって、これが無ければ教会へ行っていない。御言葉の通り、すべてが益とされることを思わされた。

 

そして学びを続けて行く中で、「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」との御言葉が出て来た。心にグサッと刺されるように入って来た。しかし自分には、到底出来ない、無理だと。だが、帰宅しても、御言葉がずっと追いかけ来て、心から離れなかった。「自分は出来ません。出来るように助けて下さい」と切に祈った。すると、不思議に感情は横において、隣人のために、とにかく祈ろうと思えた。

 

そして隣家の祝福を祈ることを実行した。毎日祈りを重ねていると、何と自分の心が変えられたのだ。心が安らかになって行った。頑張るのでなく、ただ御言葉に従った時に、自分が変えられる事を経験した。祈りを続ける中で、和解ができ、問題の解決が与えられた。祈りには力があり、御言葉に従う事は大きな祝福だ。「その行ないによって祝福されます」。

 

-----------聞くだけで従ったような満足感はないだろうか。主は折々に導いてくださる。祈りなさい、立ちなさい、行きなさいと。聞き流さずすぐに従おう。必ず祝福があり次のご計画の中に導き入れられる。