からだの明かりは目とは、目から、光が取り込まれる事による。目が光を取り込む窓口になる。その目が健全なら、全身に十分に光が取り込まれるので、全身が明るく心も明るい事になる。しかし目が悪いと、光は十分あっても、身体に取り込めない。だから身体の中は暗く、心も暗い。窓から光が入らない状態だ。
光が無いのでなく、光はそこにあり、ちゃんと輝いている。光の問題では無い。目の問題だ。見る事が出来ないので、そこに光がある事がわからない。太陽がさんさんと輝く中で、目を閉じるなら、真っ暗闇になる。だから、あなたの内の光が、暗闇にならないようにせよと。光は主だ。主は常に輝いておられる。
健全な目=単一の目、一つの目、光である主だけを見続ける時、内側は健全で明るい。しかし、主に対して目を閉じ、主ではなく、目がこの世のもの、名誉、地位、富・・様々な偶像に、又、心配事や思い煩いに、主以外のものに向いているなら、光が入らない。その時、心は暗く、不安や恐れでいっぱいになる。
又、目が自分の思い込み、偏見、独りよがりでいるなら、光が入らず、心は暗く歪む。見ているものを「よく注意せよ」と。見ているものが重要だ。例えば赤い警告ランプが、目が悪く、青に見えていたらどうだろう。生死に関わってくる。主を見つめているなら、光が目の窓から豊かに入り、自分自身は輝く。そして、それは自分だけでなく、周囲の人々をも照らして行く。
-------------目の前の障害がまず目に入り、恵みが満たされていないように感じる。それは受け手の問題であり、主の光は変わらず十分に注がれていると気づきたい。主の光を全身に浴びて、内からの喜びで輝こう。