「元気を出しなさい・・いのちを失う者はひとりもいません。失わ れるのは船だけです」使徒27:22

パウロはもう航海は危険だと主張したが、皆の意見は違い、クレテの港まで行って冬を過ごす事になった。それで出帆したところ、激しい暴風に巻き込まれ、船はほんろうされた。積み荷を捨て、船具まで捨てた。太陽も星も見えない日々が続き、身の危険が迫り、事態は絶望的であった。最後の望みも断たれようとしていた。しかしパウロは確信もって「いのちを失う者はひとりもいない。失われるのは船だけ」と告げた。

 

神は、クリスチャン人生、失うものは何もないとは言われない。ヤコブも「私も、失うときには、失うのだ」と言っている。私たちは信仰生活で、様々失うものがあるだろう。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」と言っている。しかし、様々な時に失う事はあっても、必ず私たちは主により御手の中に堅く守られ、信仰人生を全うできる。

 

船を失う場合があるという事実を覚えよう。だが、必ず守られ、確実に安全な島に打ち上げられることも覚えよう。いつでも得る事は嬉しい事だが、失う事はつらく、痛手だ。しかし、振り返った時、あの時の、この時の様々な損失、それによって自分自身が練り鍛えられ、きよめられ、信仰が成長させられ、今の自分があるのではないだろうか。

 

あの損失が無ければ、今の自分は無い。あの取り扱いによって、自分は一段階成長できた。信仰人生、損失は必ず通るが、思いを遙かに越えた結実に至る。船を失うことがあるが、いのちは守られ、豊かな霊的祝福が与えられる。

 

-----------何一つ失わず変わらず、与えられることばかり求めているといつも不安だ。失う時は失うのだの心意気で、次の一歩を踏み出したい。主に明け渡せる事が何よりの祝福だ。