「キリスト・イエスにおいて上に召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目ざして一心に走っているのです」ピリピ3:13

他人と過去は変えられないと言われているが、過去の過失を思い、思い煩い、くよくよする事があるだろうか。普段は目の前の事の忙しさで、忘れて普通に生活しているが、何かがあると、あの失敗、この過失、傷が思い出されるだろうか。フラッシュバックし、心暗くなり、落ち込んでしまうだろうか。

 

悔い改めたその事は、主の十字架の血潮によって、すでに完全に赦されているのに、またほじくり返しては悶々とする。もしあの時、違う選択をしていたら、この時、違う対処をしていたら、あの時ああしていれば・・、この時こうしていれば・・自分の人生は全く違った結果になっていたかもしれない・・堂々巡りしては後悔する。

 

しかしもし神が、あなたに違った道を歩ませたければ、その時、そう出来なかっただろうか。この事を本気で信じているだろうか。心の奥にとがめや不安がある時、前進が出来ない。感謝と喜びが奪われてしまう。過去のその所に神を認めよう。

 

「わたしは、もはや決して彼らの罪と不法とを思い出すことはしない」と主は宣言されている。主が思い出さないと。そして、「内なる人は日々新たにされている」と。日々新しくされている。今日も完全に新しい者とされている。何と感謝な事だろう。後ろのものを忘れ、前のものに向かって、進めと言われている。

 

-----------主にあって新しくされた立場は、その日の気分でゆらぐような不確かなものでなく、主に捕らえられ義とされるための過程の全ては祝福だったではないか。疑わず前を向き信じていよう。