「そのままにしておきなさい。マリヤはわたしの葬りの日のために、 それを取っておこうとしていたのです」ヨハネ12:7

埋葬の日のためにしてくれたと、主が言われたように、マリヤは、主がこれから十字架にかかられる事を、ただ一人悟っていた。このエルサレム入城が主の最後の旅であることを理解していた。主のために、自分の出来る精一杯の事をしたいと願った。そのため非常に高価な香油を惜しげもなく注ぎ出した。

 

「300デナリ以上に売れて」300万円の価値と思われる。弟子たちは全く理解できておらず、「貧乏な人たちに施しができた」と、「無駄にした」と、マリヤを責めた。しかし主は「マリヤはわたしの葬りの日のために、 それを取っておこうとしていたのです」と、マリヤをかばわれた。

 

「取っておいた」香油を今まで少しづつ蓄えていた。マリヤの主への愛だ。 献げものは主への愛の表われだ。今、自分に出来る事をすれば良い。自分になしうる感謝を精一杯に表わせばよい。私たちはよく思う。もっとお金があれば献げられるのに。お金が無くてと。今は忙しいから、余裕が出来たら時間を献げよう。

 

状況と環境が変われば、もっと主のために労力を献げられるのだが・・と。しかし、そのようになったとしても献げない。 今、「自分にできることを」すればよい。弟子たちさえ、主の十字架をわかっていたなかったのに、なぜマリヤは悟れたのだろう。「主の足もとにすわって、みことばを聞き入っていた」。じっと御言葉に耳を傾けていたからこそ、主の時が悟れた。そしてそれは今から苦難に向かう主を、どんなにお慰めした事だろう。

 

---------------主に受け入れられるために献げるのではなく、愛する主に今の感謝を素直に現したい。その主への応答の連続が、主の葬りを誰よりも悟り、愛をもって主をお慰めしたのではないか。今できることは、何だろう。