「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる 祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきな さい」ピリピ4:6

あなたも思い煩うだろうか。明日の事、来週の事、果ては老後まで、心配でたまらない。不安は、更に不安を呼び、大丈夫だと思おうとしても、思えない。不安はどんどん膨らみ、次から次へと湧き上がる。とどまるところを知らない。経験があるだろうか。

 

周囲から、神がおられるから、必要は備えられると励まされても、どうにもだめなのだ。頭ではわかるのだが、恐れがどうにもならない。ほとんど恐怖となる。ある人は、人一倍心配症だった。事情があり無収入の状況に陥った。かつて経験した事のない事態だ。それまでは必ず毎月、給料が入って来た。生まれて初めての状況だけに、もう不安を通り越して恐怖だった。

 

しかし結果的に、祈りに答えられ、溢れるばかりの必要が与えられた。驚きだった。初めての経験だった。その後、何度も経済的苦境を通ったが、その度に不安にもなりながら、しかし祈った。すると、その度に必ず必要が満たされた。不安になるのも事実だが、その度に祈った。祈りは答えられ、必ず満たされた。

 

それを何度も繰り返し、歳月を経た時に、当初のあの恐怖が、今では、「次はどのように与えて下さるか楽しみ」に変えられていた。主は訓練し、弱い所を鍛え、強めて下さる。今、不安な状況なら、主に頼る事を訓練し、鍛錬して下さっている。主への信頼を深める取り扱いだ。主の御手に抱かれている事を覚え、不安をそのまままず祈りに持って行こう。その祈りが答えられる事を経験して行く。

 

----------御言葉は恐れるなと言うが感情はついて行かない。だからこそ意思を向けよう。心配も不安も委ねてよいと言われる主が傍にいる。それを経験で知ることが大切だ。心配を抱えたままで祈ろう。