「御国のことばを聞いても悟らないと、悪い者が来て、その人の心 に蒔かれたものを奪って行きます」マタイ13:19  

私たちは御言葉を聞く時、どうだろう。自分に都合の悪い言葉は、聞きたくないものだ。耳をふさいでしまうし、聞かなかった事にしてしまう。自分の罪を指摘される事や、自分の弱さ、醜さを明らかにされる御言葉、それらを肉は聞きたくない。自分は変わりたくない。相手や状況を変えたい。強固な自我がある。

 

又、メッセージを聞く時、聖書の学びをしている時、その折々の御言葉が自分には関係ない、無関係と思っていないだろうか。そう思って、他人事に聞く時、神の言葉は、全く心に入らない。聖書のどの箇所から聞いても、もし自分とは関係ないの態度で聞くなら、心の耳に聞こえて来ない。

 

ある人は、何年も教会に集っていたが、全く御言葉が入らなかった。理解できず、どうしてもわからなかった。ところが非常に厳しい試練が臨んだ時に、自分では全くなすすべなく、生まれて初めて神に助けを求めた。拠りすがった。その時に初めて、御言葉がぐいぐい心に入り、心に響いて来た。

 

御言葉が自分の支えとなり力となり命となった。それまでは、自分と何の関係もないものとして、聞いていた事に気づかされた。神に頼るなど、とんでもない。自分は自分の力で生きて行くと思っていた。だから何度聞いても入らず、信仰に至らなかった。私たちはどうだろう。他人事のように聞いているだろうか。御言葉を教えて下さいと、わかるようにと、祈ろう。

 

・・・・・・・・・・・・・御言葉を聞く時は、心の態度が大切だ。へりくだって、主よ教えて下さいと、御言葉の下に自分を置く時に、心に入って来る。自分の都合の良いように聞くと、わからない。聞けない者である事を認めて、へりくだり助けを仰ぐ時、御霊が助けて下さる。