「あなたがたの間で、人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべ になりなさい」マルコ10:44

ヤコブとヨハネは、御国で右と左にと、右大臣、左大臣の地位を主に求めた。又、その母が彼らのために、主のもとに来て、ひれ伏して願った別の箇所もある。親子で高い地位を願っている。そしてこの事を聞いた他の弟子たち十人が腹を立てたとある。という事は、彼らも同じように考えていた。自分たちが出し抜かれた事に、腹を立てた。主の十字架を直前に控えていた時だった。

 

又、弟子たちは「だれが一番偉いかと論じ合っていた」。主が十字架に向かう、まさにその時にも、弟子たちの心は「一番偉いのは誰か」「自分が、自分が」でいっぱいだった。弟子たちだけでなく、この誘惑は誰にでもある。人を、自分の思い通りに動かしたい、自己中心な欲求がある。これは相手を支配することになる。

 

又、肉の性質には「人から評価されたい、認められたい、賞賛されたい、人の上に立ちたい」との誘惑がある。それが強くなると、周囲が競争相手になり、張り合いが生まれる。そこに愛は無い。「自分が、自分が」の世界だ。そのため主は「先に立ちたいと思うなら、しもべになりなさい」と言われた。そして「互いに愛し合いなさい」と。

 

主自らがしもべとなって、ご自分を無にして、十字架の死にまで従い、私たちの救いの道を開かれた。それによって私たちに愛がわかった。この主を見続けて、主のお心に従って行けるように。まず、自分の内側にあるものを認めて、祈って行こう。-------------上に立つ者が仕える者となって十字架に進んでいく。主の姿にしもべの道は栄光の道と教えられる。仕えられたいから上に立ちたいの価値観はなんとみじめだろう。