「ヨシュアの子ギデオンはミデヤン人からのがれて、酒ぶねの中で 小麦を打っていた。主の遣いが彼に現われて言った。『勇士よ。主があなたといっしょにおられる』」士師記6:11

主は、敵であるミデヤン人を逃れて、恐れて、酒ぶねに隠れていたギデオンに向かって、「あなたのその力で行き、イスラエルを救え」と告げられた。「わたしがあなたを遣わす」と。驚いた彼は、どうして自分にそんな事が出来ましょう。私の分団は最も弱く、そして私はその中でも一番若いと。自分には到底無理だと、出来るわけがないと言い訳をする。

 

すると、主は「わたしはあなたと一緒にいる。あなたはミデヤン人を打ち殺す」と。その時、ギデオンは、私と話しておられるのが、あなたであるとのしるしが欲しいと願った。本当に主から出た事なのか知ろうとした。二度のしるしを求め、確かめた。その結果、彼は主によると確信した。

 

恐れて隠れている彼に、主は「勇士よ」と語られ、現在の彼ではなく、先を見て、勇士として戦うギデオンを見られた。又「あなたのその力で行き」と、彼がいかに弱く、若くても何の問題も無いと。「主が共におられること」「主が遣わされること」それがすべてだ。私たちも、自分の弱さを嘆き、無力におじけづき、自分に何ができようと、ひるんでしまう。主からの示しに対しても、自分を見るなら、能力は不足、時間も富も力も不足だ。

 

しかし、主は「あなたのその力で行け」と言われている。あなたの力の問題ではなく、どなたが共におられるかの問題だ。主が遣わされるのなら、必要な力はすべて主から来る。今、あなたにも「あなたのその力で行け」とみ声をかけておられるだろうか。

 

・・・・・・・・・・・・・目の前の事態に、又、新たに進むべき時に、「あなたのその力で行け」と言われている。自分の力量の問題ではなく、主が共におられることがすべてだ。主が遣わされるなら、主が知恵も力も与えて下さる。示しがあるなら、あるがままで主に従おう。