「わたしがあなたがたを引いて行ったその町の繁栄を求め、そのために主に祈れ。そこの繁栄は、あなたがたの繁栄になるのだから」 エレミヤ29:7

エレミヤの時代、イスラエルはアッシリヤに滅ぼされ捕虜として連行された。しかしそのアッシリヤは、バビロンによって滅ぼされ、国々は滅ぼされ、とうとうユダも、バビロン捕囚の身となった。当時のユダは神から離れ、偶像礼拝に走り、堕落していた。

 

預言者たちは、耳ざわりの良い、心地良い言葉を語り、平安が無いのに「平安、平安」と。しかし、神の人であるエレミヤは、真っ直ぐに耳に痛い言葉を語った。そのため苦しめられた。バビロン捕囚のさ中、真っ暗な中で、エレミヤは、それは一見「災い」としか見えないが、「平安と将来と希望」のためのものだと告げた。

 

すぐに解放にはならないので、その地で落ち着いて、腰をすえて生活せよと、そして、敵である「その町の繁栄を求め、そのために主に祈れ」と。それは自分たちの繁栄になるからと。

 

私たちも苦しみの時、一番欲しい言葉は「即、問題解決」「即、悩みから解放」だ。しかし、口先だけの励ましは、更に傷を深める。私たちも、足かせのような苦しい現状を受け入れる時、その中で神からの支え、励ましにより生きて行けるという事だ。

 

現実を受け入れる事が大切だ。いつまでも苦しみのままでなく「70年の満ちる頃・・あなたがたを帰らせる」。現状を受け入れて、その中で神に従って行こう。そこに「平安」が約束されている。そして神の時に、かせから解放して下さる。

 

----------痛むことも忍耐もなく解放を求めて次々と移り歩くならご利益を求める世の宗教と同じではないか。私たちの神はご計画をもって働かれていることを災いの中に認めていくことから祈りたい。