「幸いなことよ。全き道を行く人々、主のみおしえによって歩む人 々。幸いなことよ。主のさとしを守り、心を尽くして主を尋ね求め る人々」詩篇119:1

主のみ教えに歩み、主に従うためには、み心に従おうとの意識的、選択が必要だ。オートマチックではない。操り人形や夢遊病者のように、勝手に従って行けるのではない。意識してみ霊の導きを求め、それを選択し、み霊に拠り頼んで行かなくてはならない。主に拠り頼まなければ進めない。

 

主が、勝手に私たちを操って従わされるのではない。それならロボットになってしまう。また、私たちの意志を無視して、神が代わりにされることもない。詩篇記者は自分の道を顧みた。私たちはどうだろう。日々の生活を、自分自身を顧みることは有意義で大切だ。

 

日々の忙しさに、流されてしまっているだろうか。主との交わりから遠ざかってしまっているだろうか。何かの示しをなおざりにし、引き延ばし、ぐずぐずしているか。記者は、主のさとしの方へ「足を向け」た。祈ったのでなく、「あなたの仰せを守りました」と、実際に行動した。

 

今、はっきりと、主のみ心に、自分の足を向けるよう、具体的に従うように導かれているなら、実行しよう。「急いで、ためらわずに」とあるように、ぐずぐずしていると、ためらっていると、必ずできなくなってしまう。いつしか、み霊の促しが消えてしまう。大きな祝福を逃してしまう。今日、足を向けて、主のみことばを実行しよう。

 

-----------心を尽くして主に尋ねるには、主に心を向ける時間が必要だ。いつも何かが同時進行で目の前に来る。み言葉は何と言っているか、導きはどこにあるのか、主に心を向ける時を守りたい。