「今、行け。わたしはあなたをパロのもとに遣わそう。わたしの民 イスラエル人をエジプトから連れ出せ」出エジプト3:10

モーセは、イスラエル人でありながら、エジプトの王子として育てられた。40歳の時に、モーセは、イスラエル人を救おうとした。同胞が虐待されているのを見て、エジプト人を殺してしまった。その事で、遠くミデヤンの地に逃亡する事になった。そしてその何も無い、荒涼とした原野で羊飼いとして、40年を過ごす事になる。

 

モーセは、こんなはずではない、何がどうなっているのか、何で自分が、と思っただろうか。王子としての地位も栄誉も、財も、人脈も、華々しい栄光を何もかもすべて失ってしまった。余りにも大きな落差だ。来る日も来る日も、その何もない地で、羊だけを相手に、40年。

 

そこでモーセは家庭も持ち、それなりに小さな幸せを得て、落ち着いた生活をしていただろうか。主はモーセを砕きに砕き、練り、整え、長い時間をかけて着々と準備しておられた。そんな時、羊を飼い、やって来たホレブの山で、柴の中に炎があるのに、柴は燃え尽きない非常に不思議な光景を見た。

 

「なぜ柴が燃えていかないのか、あちらへ行ってこの大いなる光景を見ることにしよう」ここで神と出会う事になった。私たちも主に出会う時、不思議な光景が大いなる光景となって行く。モーセに、神の大いなるご計画があった。モーセは整えられ、神により用いられて行った。今、こんなはずではない、何でこんな事が、の状況だろうか。しかし神にはご計画がある。砕き、練り、整えられて、大きく用いられて行く。

 

・・・・・・・・・・・・人生途上、不意の、突然の思いもよらない事態に遭遇する。何でこんな事が自分に、と驚き、怪しみ、わけがわからない。その時には見えないが、主の愛なるご計画の中だ。全主権を持ち、慈しみ深い主が「平安と将来と希望」必ず平安の落とし所に着地させて下さる。