「あなたの重荷を主にゆだねよ。主は、あなたのことを心配してく ださる。主は決して、正しい者がゆるがされるようにはなさらな い」詩篇55:22 

ある人が、主の御心を確信し、海外留学に出た。それが様々想定外のアクシデントがあり、次の学年に進む頃には、手持ち資金が底をついてしまった。必要は必ず与えて下さるはず、とにかく祈った。各方面の奨学金も問い合わせたが、道が開かれず、「御心を信じて来たのに、どうして?どうか与えて下さい」と、なおも祈り続けるが、道は開かれない。

 

「なぜ?どうして?」焦りと思い煩いで一杯だ。しかし祈りに祈ったが、与えられず、道は閉ざされたままだ。すべてを委ねて、これが神のご意志と受け入れる決心をした。「自分は最後まで学びたかったが、この事を神の御心と受け止め、帰国します」と祈った。すると不思議に、イライラや、思い煩いで騒いでいた心に、すうっーと平安が来た。

 

その直後、諦めていた奨学金が下りたとの連絡が入った。現地の友人達が走り回ってくれていたのだ。結果的に、すべての学びを終え、きちんと卒業し、帰国できた。主の取り扱いであった。教えられた事は、御心なのだからと、御心を自分の力で行い、自分で成し遂げようと、自分が、自分がと必死になっていた事だった。

 

何もかも自分の肩にかかり、心に平安は全く無く、焦りと、イラ立ちと思い煩いで一杯で、苦しくてたまらなかった。主は自分自身を明け渡す事を望まれ、委ねた時に、平安が来て、そしてすべての必要が満たされた。あなたも今、自分が、自分がと背負っているだろうか。委ねる事が必要だろうか。

 

・・・・・・・・・・・・・不安と恐れの思い煩いに沈む時に、ふと目を上げると、自分が、自分が、と自分の肩にずっしりかかっているので、平安が無い事に気づく。委ねることがなかなか難しい。だが出来ませんと祈って行く時に、主が委ねられるよう、助けて下さる。