「きょう、もし御声を聞くならば、御怒りを引き起こしたときのよ うに、心をかたくなにしてはならない」ヘブル3:15

ヘブル書に「あなたがたの先祖たちは、わたしを試みて証拠を求め」とモーセに率いられたイスラエルの民の例が出されている。約束の地カナンに入るために、出エジプトを果たしたにかかわらず、40年間荒野をさまよった。

 

あげく、約束の地に入れずに、20歳以上の者たちは皆、荒野で滅んでしまった。ヨシュアとカレブと新世代だけが、約束の地に入った。民たちは、エジプトでの災害の奇跡と紅海が二つに分かれた大奇跡を目の当たりにした。何も無い荒野で水が湧き、マナやうずらが降る奇跡を見、雲の柱や様々な奇跡を見た。

 

見たにもかかわらず、なおも神を信じないで、約束の地に入る事を拒んだのだ。それらの民達を教訓とするようにと警告している。彼らは神の言葉を聞いていた。主が乳の蜜の流れる地へ導き入れるという良き知らせを聞いていた。しかし、その聞いた言葉が「信仰によって」結びつけられなかったため、何の益も無かった。

 

斥候の言うカナンの強敵について聞いた時に、神を信じる事が出来なかった。せっかく苦難のエジプトから神は脱出させて下さったのに、神への信仰がなく、不信仰のゆえに、荒野で死んでしまった。私たちは御声をどう聞いているだろう。受け止めずに聞き流しているだろうか。拒んでいるだろうか。

 

神の愛から発した、神の真実な言葉だ。その一言一言に向き合い、従えるように祈ろう。出来ないなら、そのように告げて、助けを求めて祈ろう。主が従えるように助けて下さる。-------------内からも外からも多くの声が聞こえてくる中で、神の御言葉を、「従います」の気持ちで真剣に傾聴する姿勢が勝利の秘訣だ。御言葉を前に聞く耳のある者となりたい。